落合監督のように教えない指導をするには監督としての自信が大事!!

こんにちは、河津です。

今回は、プロ野球の名選手にして名監督、落合博満氏の著書を心理学的に読み解き、選手を育てていくためのコーチングのコツについてまとめていきたいと思います。

落合博満ってどんな人?

野球をそこまで知らない人でも名前は聞いたことがあるのではないでしょうか?それほどに超有名な元プロ野球選手です。

日本でただ一人、三冠王(首位打者、最多本塁打、最多打点、とにかく打って点取りまくった人)に三度輝いている大選手でした。現役を引退後は中日ドラゴンズの監督として四度のリーグ優勝、一度の日本一を達成しました。監督時代は「オレ流」の言葉が表しているように独特の考え方が注目されていました。

はたして落合監督の手法というのは「オレ流」の言葉通り独特のものなのでしょうか?

教えるのではなく学ばせる!オレ流の選手育成法

今回のお話をしていくうえで落合監督の著書「コーチング 言葉と信念の魔術」を拝見しましたところ、第一章では本人が選手育成にかかわっていた時のコーチングのコツなどが紹介されていました。

そこでことさら強調されていたことは「選手を主体とした育成」でした。確かに彼はアドバイスなどを送る時などはその独特の目線でアドバイスを送っていたのかもしれません、その独特の着眼点が「オレ流」なんて呼ばれていたのでしょうが、実は彼の指導法の本質はそんなところにはありませんでした。以下に著書の中で紹介されていた実際の指導の仕方をご紹介します。

『まず理解しておかなければならないのは、コミュニケーションの主体は選手、部下、教えられる側ということだ。~中略~その選手や部下が教えられたことを理解して実行しようとしなければすべての物事は前に進まなくなるのだ。

~中略~横浜キャンプでの体験を書いておこう。私は、最初から手取り足取りでの指導はしなかったと書いた。何本か打たせて「ちょっとこうやって打ってみてくれる?」と言い、またしばらく見て、「やっぱり違うかな。悪いけど、今度はこういう風に打ってみて」と言葉をかけた。それでもどこかしっくりこないと思えば「それじゃ、今度はこういう形でやってみて」といった。それで「どう?」と聞いて、選手が「こっちの方がやりやすい」と言えば、「そうか。それじゃ、そのうち方でやってみよう」という感じだ。

選手が「ちょっとおかしいな」と思っているのに、私が「それでいい」と言ってやらせるのと違って、選手と私がコミュニケーションを取りながらスイングの形を作っていく。あくまでも主体は選手。私の感覚ではなく、選手の感覚でしか物事は進めていけない。そして最後に、「自分が納得できるスイングで10球打って終わろう」と言った。すると選手は「1本」、「2本」という度に私の顔を見る。~中略~そこで私が「今のは1本にならないぞ」と言えば、主体は私に戻ってしまい、次の1本がなかなか出てこなくなる。だから「お前が1本だと思うなら、それでいい」と言った。』

選手を育てる上で、監督としての自信がなによりも大事

このように、彼の指導の本質はコーチング学、スポーツ心理学の分野では王道と言ってもいいくらいに当たり前なもの、つまり選手が「自分自身で考えられるように育てていく」ことでした。しかしながら、現場ではこういった指導ができるコーチがとても少ないこともなげていていました。

それでは、彼はなぜ王道を貫けることができたのでしょうか?

『“見ているだけ”が理想のコーチングと書いたが、この“見ているだけ”というのは、見ている側も本当はつらい。さっさとアドバイスをしてしまった方がよほど楽だ。~中略~「時は金なり」という言葉から考えれば、「そんなに遠回りをしていないで、こうすれば別の答えが出てくるじゃないか」とアドバイスを送るのが近道かもしれない。だが、それはあくまで上に立つ人間の考え方だと思う。

~中略~私がスイングを見た選手の一人に、多村仁という入団7年目の外野手がいた。多村は、2000年まで横浜の助っ人として活躍を続けていたロバート・ローズにそっくりな構え方をしていた。~中略~模倣から入っても、そこから何かをつかめばいい。だから、多村に接した私も、「そのフォームはだめだから、こうやって構えて打て」というのではなく、ただひたすらにバットを振らせた。振らせる量は半端ではない。2~3時間の間に、1000~1500回振らせた。

私の分析では、模倣したフォームで10時間に1000回振れと言えば、ローズの形のままできると思う。しかし、2時間に1000回以上振らなければならないとなれば、ローズを模倣した形では無理だ。なぜなら、多村の体格でそのスイングをしていたら、余分な力を使って疲れてしまうからだ。案の定、多村は、次第に少しでも楽をして振れるように自分自身でフォームを変えていった。そして最終的にはローズのフォームの影も形もなくなって、多村自身が一番楽をして振れるフォームを自分でつかんだのだ。

~中略~2時間もの間、選手はひたすらにバットを振り、指導者はそれをじっと見続ける――これは選手にとっても指導者にとっても、忍耐に近いものかもしれない。なぜなら、最近の社会は、教える側は教えることに、また教えられる側は教えられることに“慣れ”過ぎていると思えるからだ。』

このことからもわかりますが、選手自ら考えさせるということはとても忍耐のいることなのです。現場の多くのコーチが落合監督のような姿勢を貫くことができていないことについて、彼自身このように言及しています。

『横浜キャンプで多村と私が行ったような練習に取り組む時には、大切なことがもう一つある。それは、指導者も選手も、短時間に結果を求めてはいけないということだ。~中略~実際、多村に対しても「この練習でつかんだことを、2~3年かけて完成させればいい。間違っても、1週間後に結果を求めようとするな」と言っておいた。

さらに言えば、これは教える側の最も無責任な部分をただすことにもつながる。どんな世界でも、指導者が教えた人間がすぐに結果を出してほしいと願う。願うだけならいいが、結果を残してもらわなければ困ると考えるのが現実だろう。』

この「指導者が教えた人間がすぐに結果を出してほしいと願う」というものは、私自身も現場でとても感じることです。私はプロの現場でというより、ジュニアのクラブチームの、特に親御さんからそれを感じることがあります。

親御さんと対面し直接感じたり、このことについて監督やコーチから相談されたりすることもあります。

プロのコーチでも、むしろプロのコーチだからこそ、結果というものを強く意識してしまうのかもしれませんね。結局そのプレッシャーにコーチ自身が耐えられなくなっているとも考えられます。

それでは、結果を求められるプレッシャーの中でも落合監督はなぜその姿勢を貫き続けることができたのでしょうか?それはひとえに落合監督の指導者としての「自信」の高さに起因するように思います。

落合監督は自分自身の指導法について、現役時代の指導を受けていた経験なども踏まえた上で、確信めいたものを持っているように感じました。この本の端々からそれが伝わってきました。

落合監督が持っている「自信」は、自分自身の現役時代の成績などに起因する、根拠のある分厚い「自信」です。そういった自信は教えられる側にも強く伝わります。この「自信」こそが、落合監督の“オレ流”の根幹なのでしょう。

最後に、落合監督の事例はあくまでプロのスポーツ選手、プロの現場でのお話です。本質は変わりませんが、時間の余裕や、自分で考えることができる下地などもその他のスポーツ現場より多くあると考えられますので、そのままご自分の現場に当てはめて考えないように気を付けましょう。

<参考文献>

  • コーチング 言葉と信念の魔術、ダイヤモンド社、2001年、落合博満 著
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